エメラルドシティでの輝かない生活

シアトル近辺でオットと息子の三人暮らし.子育てと日々の雑感.

海外生活していて困ること(3) - 母は施設へ父は入院

小さくなりました

一足先に施設に入った母ですが、携帯を充電することもできず(認知症なので)、一気に連絡を取りづらくなりました。

連絡を取ったところで、実のある話ができるわけでもないのですが。

霞の中で生きている母

父との平和な生活はもうなくなってしまったので、今後、認知症は加速度的に進むことになります。環境の変化が一番良くないのです。

もちろん、認知症が進むことは折り込み済みで施設へ引っ越しさせました。選択肢なんてありません。

 

東京でお世話になっていたケアマネに連絡し、自治体同士で引き継ぎが行われたようです。この辺は私はかかわっていないのでよくわからないのですが、この他、母のかかりつけ医と施設の間でも連携があり、外側はスムーズに済みました。

 

母もこの後、いろいろあったのですが、また別の話で書こうと思います。

入院後、父に初対面した弟からの話

前回から少し戻って、父がリハビリセンターへ移動する直前、弟が病院に面談に訪れました。ここで入院して初めて父に会ったことになります。

 

弟は、少しショックを受けていました。

 

たった数週間で父はかなり痩せました。

 

入院中に父も認知症の症状が見られるようになり、特に夜間、かなり混乱していると言われたのです。自分の居場所がわからなくなったり、母を探したり、そしてなぜ自分が入院しているのかもわからなくなりつつあるようでした。

 

筋力が衰え、難病の影響もあり、自立歩行は危ないので介助をつけての車いすを勧められました。また、発話も困難になり、不明瞭で聞き取りづらくなりました(これが今後、父をさらにいらつかせることになります)。

嚥下がかなりしづらくなり、とろみをつけた流動食に移ったという話でした。

 

まだ痛いと訴えてはいたようですが、このまま入院を続けるとメンタル面に悪影響が出る可能性があるということで、早めにリハビリセンターに移ることをここで提案されました。

父は運よくその数日後に移ることができましたが、病院もリハビリセンターも常に満床状態で、タイミングによってはかなり待たされた挙句、症状が悪化することもあったかもしれません。

早く同じ施設に入ってほしい

ここまでが3月中旬の話です。

 

たった数週間で、人間はここまで衰えるのかと驚愕しました。

もう自立歩行は無理であり、もちろん母とのふたりでの生活なんてありえなくなりました。

 

この時は、当たり前ですが、父の死がそんなすぐそこに迫っているなんて、夢にも思っていませんでした。とにかく、早く父が退院して、母と同じ施設に入ってくれる日を待ち望んでいました。

 

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