エメラルドシティでの輝かない生活

シアトル近辺でオットと息子の三人暮らし.子育てと日々の雑感.

海外生活していて困ること(22) - 親の死は突然やってくる

両親にも若い時があったはず

書いたり消したりしていて(そしてクリスマス)、更新が遅くなってしまいました。

これにて、いったん、父の死亡関連の話はおしまいです。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

気持ちのアウトプットは大事

アナログな日記にして、自分だけが見られるようにしても良かったのですが、それだとたぶん、自分の性格上、永遠に仕上がらなかったと思います。

自分の身内の話を出すかどうか迷いましたが、やっぱりどこかにまとめたいという気持ちが大きかったこと、人に読ませる前提で書けば、表現も柔らかくなるし、俯瞰して考えられるかもしれないと思い、踏み切りました。

それから、当初は予想していませんでしたが、自分の内省にとても役に立ちました。ちょっとしたヒーリング効果もあったと思います。

 

現在、遺産相続の手続きをしている最中です。

それも弟が取り仕切ってやってくれているので、私が語れるものはほとんどないのですが、海外邦人がやるべきこと、みたいな感じでそのうちまとめられたらいいなと思っています(はっきり書くとは言えない…)。

 

そういう手続き関連はいったん置いておきまして、自分の気持ちの総括だけしてみます。

私から見た父は

父は自分のことが一番でした。

私のことを心配して、先回りしてあれこれやって、挙句に先方に大声で怒鳴りつけたりすることもありました。「お父さんはあなたのことがよっぽど心配なんだね」と言われたこともあります。

でもそれは違います。

父は自分のことが一番でした。

自分の納得する結果にならないと気が済まない人でした。

私の話なんて半分も聞かずに、トラブルのあった相手の電話番号を教えろ、と威嚇してきました(業者などもふくみます…)。

やめてほしい、と言っても聞く耳を持ちませんでした

自分の正義のために、娘の話なんてどうでもいい人でした。

 

母は四柱推命に凝っていた時期がありました。近所のカルチャーセンターに習いに行っていました。

そこの先生に、一度占っていただいたことがあります。

「ご両親は過保護ですね、特にお父さんがひどい」

と言われました。

占いはあまり信じない方ですが、これだけは今でもはっきりと覚えています。

父のこれまでの行動をオブラートに包んで「過保護」と表現してくださいました。自分の気持ちを言語化してもらえた嬉しさを、今でも覚えています。

父は死んだ後も私を試してくる

こんな感じで、思い出と言えば悪口しか出てこないんですが(ひどい娘です)、それでも、父が父なりに一生懸命だったことは、実家の整理をしていてひしひしと感じました。それが私にとっては重荷でしたが、その気持ちをわかろうと思えたことが、ひとつの前進となりました。

 

実家で、父の若かりし頃の日記を見つけました。

どうやら、結婚前に母との関係をどうするか悩んでいる風の内容だったので、これは読んではいけないやつ、と思ってすぐに閉じたのですが、気になって仕方ありません。

父も捨てずに取っておくなんて、意地が悪いですね。

私の倫理観を試されている気がします。

 

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