日本で少しだけ通った小学校が、運動会をやるという情報を得たので、元息子の同級生のお母さんに連絡とってみました。
コロナ禍の運動会をやると決定するのも大変だったと思いますが、その運動会がどのように執り行われるかとても興味がありました。
その小学校では、午前中のみでもちろんお弁当はなし。観覧できるのは1家族2人まで。紅白に分かれての紅白戦はなしで、花形の選抜選手による最後のリレーはなし。
なるべく学年が混じらないように配慮されていたようです。
来年からも、これくらいの規模でもいいんじゃないかなーと思いました。お弁当とか席取りとか、誰も得しないですよね。
6年生がやったダンスの映像を送ってもらったんですが、最高に感動的でした。感動ポルノとか言われちゃうかもしれないけど、やっぱり、クラスメイトといっしょになってやり遂げていくことってそんなに悪いことじゃないと思っています。
アメリカにいると、クラスメイトと一緒になって何かをやり遂げるっていうことが本当にないです。こういう、イベントのために強制的に何かをやらせることってないんじゃないかな。
アメリカでもチアリーディングなんか素晴らしかったりするわけです(あれも団体スポーツで、動きを揃える必要があります)。だから、団体スポーツができないということはないし、集団活動が苦手だったり動きを揃えることができないとかそんなことはないはずです。
ただ、それを選ぶか選ばないかを本人に委ねているところが大きく違うんだと思います。
もちろん、学校は集団活動なので時間になったら席に座って授業を受けるとかいう最低限の行動制限はあります。でも、基本的に他人に迷惑をかけない ( "Show respect" ) 以外は自由なんですよね。
日本の学校では、意識的にしろ無意識にしろ、集団における個人の立場や役割を何かと刷り込まれる作業がとても多かったな、とアメリカに来てより感じています。日本のすごいところは全国どこにいてもほぼ同じ教育が受けられることなんですが(アメリカの住む場所による格差がすごすぎる)、逆に言えば、全国どこにいてもこの「集団の中の自分の立ち位置」を日々刷り込むことを、義務教育の中でやっているということなんですよね。
これを拒否する権利がないのは、やっぱりちょっと怖いなと思ったりはします(実際にはあるけど、ちょっとハードル高め)。いいところもたくさんあるんだけどね。
選択肢がある分、アメリカはお金があるかどうかでチャンスに幅がありすぎるという難点もあります…