告別式の翌日、私は東京に戻り(?)ました。
翌日、アメリカに戻るからというのもありましたが、弟から実家を捜索してほしい、というミッションを託されたからです。
ここからは、遺産相続の準備が始まります…
パスワードの保存方法
いろいろ書類は必要ではあるのですが、まず、父がどれだけ財産を持っていたのか、全体を把握する必要があります。当人は三途の川へと旅立ちましたが、現世に残したものがあるのです。
幸い、父はその辺をちゃんと文書にしたためておいてくれたので助かりましたが、よくよく読んでみると、その中に「オンラインバンキングのパスワードは和室の本棚にあるファイルに挟んである」とかあるのです!
まさかの手書きメモです。
そんなわけで、実家の整理をちょっとだけすることになりました。
2月で時が止まった家
実家に入ると、しばらく人が住んでいなかった独特の匂いがしました(そしてものすごく暑かったです)。家じゅうのカレンダーが、全部2月で止まっていました。
父が倒れたのが2月だったからです。
家じゅうの窓を開け、とりあえず換気をした後、例の和室の本棚からファイルを探しにかかりました。なんとかエアコンのリモコンを探し出し、冷房を入れることができましたが、それがなかったらもう探し物なんて無理でした。
夏の片づけは命の危険があります。
父の残したファイル
本棚の片隅に、父のファイルが信じられないことに何冊もありました。
どれだかわからないので、片っ端から探すことにしました。
几帳面なのかわかりませんが、家電の取説や金融機関からの連絡など、ぜんぶファイリングされていました。父は自分の下着の場所も知らなかったのに。
その中に、病院関連ファイルがありました。
ちょうど父が体調を崩しだした5年くらい前の記録でした。
医者から言い渡された病名と、それの治療法や免疫のあげ方など、新聞や雑誌の切り抜きがぎっしり入っていました。病気への不安などはどこにも書かれていませんでしたが、父はあれこれ思案したんだろうということが容易にわかりました。
そのすぐ後、父は遺言書の作成に取り掛かったのでした。
父にとって大事なもの
遺言書のほとんどは、母への相続の話ばかりでした。
実家は弟に譲るが、無償で母が存命の間は住まわせること、遺産のうち○○万円は母に譲り、余ったら姉弟で2等分すること、などの文言が思い出されました。
母に譲る金額がどこから出てきたものかわかりませんでしたが、この時ひらめきました。母が父の死後10年生きるとして、月々かかる金額から計算して、ちょうど10年分くらいの金額でした。
ここですべて合点がいきました。
父にとっては母がすべてだったのだと。
私や弟はどうでもよくて(よくはないけど)、とにかく母のことをすごく心配していたんだなぁ、と思い至りました。
私はここで父の死後初めて、涙が出ました。
煙たがらずに、もっと父の話を聞いてあげればよかったなぁと思いました。
※案の定、パスワードはどこにも見つかりませんでした…
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