エメラルドシティでの輝かない生活

シアトル近辺でオットと息子の三人暮らし.子育てと日々の雑感.

「ヒーロー」

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本音はなるべく目立ちたくない

常々思っていたのですが、アメリカは「ヒーロー」が好きなんじゃないか。

もちろん、日本にもヒーローを扱った素材はたくさんあります。ゴレンジャーに始まって、ガッチャマンとか、今はそれこそ「僕のヒーローアカデミア」という漫画もあるくらいで。

 

この間の停電の時にも、作業員を「ヒーロー」と呼んだ人がいました。
遡って考えると、アメリカで名もなきヒーローを初めて聞いたのは、9.11の時だったんじゃないかなと思います。あの時は、ニューヨークで消火活動に当たった消防隊が注目されて、彼らはヒーローだと祀り上げられていました(少なくとも、私にはそう見えた)。

「ヒーロー」と祀り上げたところで、亡くなった消防隊員は生き返らないし、なんなら腹の足しにもならない。私はひねくれているので、もし私が遺族だったら「死んじゃったけど、ヒーローって呼ぶからがまんしてよ」みたいな風にしか聞こえないんですよね。

でも、アメリカ開拓史を聞いて以来、自分の日本人の感覚で考えても意味ないんじゃないか、と思うようになりました。

アメリカ建国の歴史をたどっていくと、独立戦争でのヒーロー、ジョージ・ワシントンはそのまま初代大統領になります。南北戦争の時はリンカーン、 公民権運動の時にはキング牧師とジョン・F・ケネディ等々、それぞれイベントごとにヒーロー的な人がいて、それとともに有名なスピーチが残っています。スピーチで人心を掌握していくんですよね。だから、日本と比べると、アメリカ史においてヒーローの存在は、大きいのだと思うのです(逆に、日本で偉人の有名なスピーチなんてない)。
日本はそもそも海に囲まれて資源も乏しく鎖国もしていたので、外敵に襲われる心配がほとんどありませんでした。だから、ヒーローがいなくても何とかなったのかもしれません。この差は大きいですよね。

 

コロナウイルスの最初の波が来た頃、医療機関にメッセージなどを贈ることが流行った時期がありました。私が毎日なんとなく視聴しているKing5(シアトルローカルテレビ局)でも、連日ヒーロー特集みたいなことをしていたような記憶があります(主に医療機関などのエッセンシャルワーカーの写真をスライドショー形式で流すようなもの)。

私は性格が悪いので、だから当時こんなニュースを見て「なんだこんな子供だまし」などと思っていました。何にもしない人たちが「ヒーロー」という体のいい言葉で贖罪しているだけなんじゃないの、この人たちはヒーローって言われてるけど、本心はどうなの。ひねくれていますね…

 

でも、アメリカ人の基本的なマインドが建国の歴史と深いつながりがあるのだとすれば、ヒーローと言われることで生きる活力が生まれることもあるかもしれない、と思うようになりました。みんながみんなそうとは言えませんが、アメリカの「ヒーロー」に込められたものは、私のようなにわか移民には理解できないような大きな力があるのかもしれないですね。