今日のタイトルは、補習校の宿題に出た作文のテーマです。
超難しい。難しくないですか?
もちろん、この課題が出た経緯があります。
最近の国語の教科書ってものすごく攻めた文章が載っていたりしてびっくりします。私が小学生の時に載っていた作品がそのまま掲載されていることもあって、それにもびっくりしますが、それ以外の読み物も時代とともに変化していて、リベラルアーツの片鱗があります。
作文の課題が出る前に、こちら二本のエッセイを読みました。
- 「メディアと人間社会」 池上彰
メディアの歴史(文字の発明、印刷、電波、ラジオ、テレビ、インターネット)を解説しつつ、結論として、メディアは人間の伝えたい、知りたいという欲求から進化してきた。どんな技術が生まれたとしても、根幹は変わらない、メディアとうまく付き合おう、という内容。 - 「大切な人と深くつながるために」 鴻上尚史
コミュニケーションとは、お互いがうまく折り合いをつけるための技術。意見が合わなくてもどこかでお互いが納得できるようになんとか解決策を見つけられること。相手と話し合うのは時には辛くて悲しい気分になるかもしれないけれど、そういう経験を繰り返していくことによってしかコミュニケーションの技術は身についていけません、という話。
教科書に池上さんと鴻上さんが載る時代になったんですね。
私のまとめ方だとちょっと乱暴に聞こえますが、どちらもお二人の人柄がにじみ出ていて、素敵な文章です。
ちょっと前に、大ベストセラーになった「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」が気になって、読んでみました。
解説動画がありました↓ サマリーだけならこれでもいいかも。
すごくおもしろかったので、息子にもこの話を聞かせたんですが、この話と絡ませて作文を書いていたようでした。ちょっと役に立ってよかった。微妙に理解してなかった感じでしたが…
ひとつ言わせていただければ、このテーマはあまり好きじゃないです。
「どう生きていくか」って。もうちょっと希望のあるテーマにしてほしかったかな。どんな社会になるか想像してみよう、とか、どんな技術が生まれたら楽しいか、とか。「どう生きていくか」って未来が辛そうじゃないですか。どんな人間でも受け入れてくれる寛容な社会が希望です。「どう生きていくか」なんて歯を食いしばるようなことはしなくていいです。
インターネットの時代になって、本当にあらゆることが便利になりました。
でも、確かに鴻上さんのおっしゃるとおりで、対面でのコミュニケーションが苦手な人が増えています。統計を見なくてもわかります。私の世代でも、子供のころは手紙と電話しか通信手段がなかったというのに、電話が苦手という人はたくさんいます。私だって、彼氏と長電話して、よく親に怒られるくらいだったというのに、今はなるべくメールかLINEで済ませたい派です。
コミュニケーションの技術がどんどん進化して便利になったら、対面でのコミュニケーションが減って、さらに一周回って太古から続く、対面でのアナログのコミュニケーションが大きな意味を持つようになった、というのはとても興味深いです。
ブログもまったく人と接触しなくてもできることなんですが、その中身自体は人とコミュニケーション取っていかないと書けないことばっかりなんですよね。なんだかんだでこれだけ人との接触を避けている現状で、実際に人に会うことにどれだけ自分たちが飢えていたのか、身をもって体験してきました。
ケンカしても苦しくても、やっぱり人とかかわって生きていきたいです。