エメラルドシティでの輝かない生活

シアトル近辺でオットと息子の三人暮らし.子育てと日々の雑感.

偉人の側面

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自己矛盾を抱えていてもおかしくない

キング牧師の非暴力公民権運動つながりで 、戻ってガンディーの晩年のことを考えていました。もうすぐ大統領就任式だというのに、私は何をやっているんでしょうか。
非暴力、という点を強調しまして、就任式が無事に終わると信じています!

 

偉人と言うのは一つの側面でしかない、という話がありました。


コテンラジオより。ガンディーの家族の話のところに頭出ししてあります。


私たちがよく知っているガンディーはインドの独立を非暴力で勝ち取っていった偉人です。でもその裏で、長男は(本当のところはわからないけれど)父親への反発なのか、あまり褒められたものではない人生を送り、最後に道端で息絶えているところを発見されたのだそうです。
同じような理屈で、ガンディーはヒンドゥー教徒でありながらイスラム教徒へも理解を示し、結局ヒンドゥーの原理主義者に暗殺されてしまいます。

 

家族と他人を区別せずに全員が彼にとっては同じ人間同士、宗教に関してもヒンドゥーだろうがイスラムだろうが目指すものは同じ、区別が争いを生む、と言っていたそうなのですが全く伝わらず、結局それがまた新しい争いの元になったということです。
一面だけ見て素晴らしいなんて言えない、と思ってしまいます。

 

私が育児休暇中に足しげく通った子育て広場がありました。
ご高齢のご婦人が、子供たちが巣立って部屋が余ってしまったから、とご自宅の一部を地域に開放してくださったため、他の同じようなサービスに比べてとてもアットホームで大好きでした。お庭があって、外でも楽しく遊べましたし、キッチンもついていたので簡単な調理もできました。ふだんは区のボランティアスタッフが現場にいらしたため、家主さんには1, 2度お顔を見ただけでした。

 

私が職場復帰して1年くらいしたころ、その家主さんが亡くなった、と知らせがありました。出産後の辛い時期にあそこでいろんな人と出会えたことで何とか乗り切れたとご恩を感じていましたので、会社を休んでお別れの会に参加させていただきました。式は粛々と進み、最後にご家族からのあいさつとなりました。

息子さんと娘さんがお一人ずつあいさつされました。
息子さんは「母はボランティア活動を通してとてもたくさんの方々と知り合うことができ、今日もこんなに来てくださり、本当に幸せだったと思います。」という感じで、お母さまのことを尊敬していらっしゃるんだなぁ、と思いました。ところが、娘さんのご挨拶は私が想像したことと全く違っていました。

母はボランティア活動に人生を捧げたと言っても過言ではありませんでした。私が気づいた時にはほとんど家におらず、毎日何かしらのボランティアをしていました。私よりその活動の方が大事なのかと寂しく感じていました。

お母さまのお別れの会でそうおっしゃるのは、よっぽどだったのだと思います。
私にとっては恩人でも、家族としては複雑な気持ちでいらしたんだとその時気付きました。
どちらが正しいわけではない、とても難しいな、と思いました。

 

この西の果てのシアトルですら、何やらきな臭い事件が起こっております。
マハトマ・ガンディーやキング牧師が家族を危険にさらしながらも非暴力!と訴え続けてきて、彼らの思想は素晴らしいと教育を受けてきたにもかかわらず、結局、力を行使することが一番楽で手っ取り早い解決法(良きにつけ悪しきにつけ)なんだなぁ、ととても悲しい気持ちで見ています。