コロナ前の写真を見ては切なくなる毎日です。
だったら、もっと遡って、渡米したころのことを思い出してみることにしました。
事の始まりは、2014年の10月です。
オットが、アメリカ本社の2つ3つ上の上司と定例ミーティングをした時、
こっちで働かない?
とかなりカジュアルに言われたそうです。
冗談なのか、本気なのかその時はわからず、ごにょごにょっとした感じで電話ミーティングを終えました。たまにいますよね、見切り発車で大事なことをうっかりしゃべっちゃう人。確認したら、全然そんな話はなかったとか。
オットは帰宅後その話をしてくれたんですが、信用できる話なのかよくわからない、と言っていました。ただ、たぶん、彼はアメリカで働いてみたいんだろうな、ということは感じました。
今でも彼はよく言っていますが、仕事は大変だけど、内容的にはアメリカ本社の方がずっとやりがいがあるそうです。言っていることは何となくわかります。
案の定、しばらくその話は全然出てこなくて、やっぱりそのお偉いさんの独り相撲だったかな、なんて思っていたころ、本格的にインタビュー(面接)の話が来ました。
これはいよいよ本格的なやつだぞ、とさすがに気づきました。
それから、どうするよ、と話し合いました。
当時、息子は年長さん。4月から小学校入学を控えています。
他にもあれこれ渡米しづらい問題を抱えておりまして、そんなあれこれどうすんだよ、と悩みました。でも、話をしていても、オットが行きたそうな雰囲気はわかるのです。ここで断ったら後悔するだろうな、ということもわかるのです。
悩んだところで、行く選択肢しかないことは感じていました。
でも、私には今持っているすべてを手放してアメリカに行く決断をするのは並大抵のことではありませんでした。さらに、子供は大人の決断に合わせるしかなく、当時の息子にはずいぶん負担をかけたと思います。あの頃、不登校になったり精神的に落ち込むこともなく、健康に過ごしてくれたのは、本当にありがたかったです。あの頃の息子のことを考えると、今でも涙が出ます。
問題はオットです。
オットは「子供だから大丈夫」という根拠のないことを言いやがって、家族は自分についてくるのは当たり前的な空気を出していました。家族に負担をかけてまでやらなくてはならない仕事なんてありません。あの時、彼が家族に対して「ありがとう」の一言もなかったことを、私は今でも許せずにいます。
この話は続きます。