渡米前後のお話です。昨日の話は暗すぎましたね…
これまでのお話 -> (1), (2), (3), (4), (5), (6), (7)
言葉も足もお金ももぎ取られた状態の私でしたが、子供がいたのが救いだったかもしれない、と思います。子供がいたおかげでしかっりしなくちゃ、と気を張っていることができました。あまり良いことではないですが、ある意味私は息子に依存していたと思います。
光明が差してきたのは8月も中旬を過ぎたあたりです。
いよいよ現地校が始まるという頃、オットが何やら近くで日本人が集まるイベントがあるらしい、という情報をネットで見つけてきました。当時はソイソースもジャングルシティも知らなかったので、日本人がこんなにたくさんいるとは思ってもみませんでした。
ものすごく嬉しくて、その日が来るのを指折り数えていたのを覚えています。
そのイベントで知り合った方の中に、偶然同じアパートに住んでいらっしゃる方がいたり、そのイベントの主催の方に息子が通う予定の小学校にいらっしゃる日本人ご家族をご紹介いただいたりして、ようやく息を吹き返してきました。
息子も日本人のお友だちができて、とても嬉しそうでした。Youtubeとゲームの毎日でしたし、当時は今と違ってオンラインで友だちとゲームをするようなこともなく、ほぼ私とふたりっきりで過ごしていました。友だちと遊ぶことに飢えていたと思います。
あとは芋づる式に日本人の方をご紹介いただき、現地校が始まるころには、いろいろな方から学校情報を得ることができました。スナックとかリセスとか、全く聞いたことのない文化で、彼らに教えてもらえなかったらどうなっていたかわかりません。
現地校が始まった後、9月には運転免許試験にパスしてようやく免許を取得、SSNも無事に取れ、銀行口座も開設、さらにオットがクレジットカードの契約をしてくれたので、カードも持つことができるようになりました。
それらについては、以前もちらっと書きました。
あと、こちらも。
困った時に相談できる人ができたことは本当に大きかったです。あの頃は、本当にいろんな人と頻繁にやり取りしていました。
8割くらいは取り留めもない話ではありましたが、それでももしかしたら、あれは私にとって自分を取り戻して立ち上がるための、大事なプロセスだったのかもしれません。
当時、このブログを読んで号泣しました。今でもわかりすぎて泣きそうになります。