火葬が終わって親族がよばれ、みんなで骨壺に骨を拾い上げました。
父はとうとう、骨壺ひとつぶんの大きさになりました。
散会した後
母はこの時点ですっかりくたびれてしまったみたいで、何とか一本だけ骨を拾ってもらいましたが、あとは「もう帰りたい」「眠い」と不機嫌でした。
ふだんはお昼寝する時間なのだそうです。
本当に子供みたいです。
いよいよ解散となり、玄関の外に出ました。
係の方に、遺影と位牌、骨壺を一人ずつ持って一列に並んで出てください、と言われました。私はお位牌を担当しました。
骨壺は熱くて重かったです。
遺影を甥っ子(高1)が持ってくれていたのですが、その写真に母がようやく気付き、玄関先でその遺影を奪って、抱きかかえて隅っこに行き、さめざめと泣いていました。
甥っ子はかなり困惑していました(ごめんよ…)。
母にとって、父の顔は遺影の写真の顔で、棺桶の中に横たわっていた父の亡骸が父とは認識できなかったのでしょう。棺にお花を入れる時も、「お父さんだよ」と伝えましたが、母の心には届かなかったのだと思います。
おいおいと泣き崩れる母を見て、従姉は涙していました。
本当に悲しそうに泣いていました…
私にとってのお別れ
私にとっては、告別式はおまけで、前日の湯灌の儀と納棺の儀が父とのお別れでした。骨になった父を見るのは切ないものはありましたが、旅支度をしてあげることができた、というひとつの、小さいけれど確かな達成感がありました。
あの世があるのか、死とは何か、現世に生きる私たちには永遠にわからないことではありますが、現世に残された人々にとって、故人を何らかの形で「送る」ということは、必要なことなんだなぁ、とつくづく思いました。
祭壇と仏壇
式の後、父の骨壺と位牌、遺影は、喪主である弟の家に、四十九日の法要が終わるまでおかれることになります。
※さすがに四十九日は、私は欠席です。
小さな祭壇が部屋の一角に組まれまして、その日の夜に、義妹さんから写真が送られてきました。正直、葬儀場にある時はそれほど感じなかったのですが、父の遺影も祭壇も、びっくりするくらい大きくて存在感があり、灰やお花の掃除なども大変そうです。
不謹慎ながら「ちょっとじゃまだよね、すみません…」と言ってしまいました。
四十九日の後は、お仏壇にお位牌を置くことになるわけですが、現在、その仏壇はうちの実家にあります。
父の両親や、幼い時に亡くなった父のきょうだいの位牌もあるのですが、実家を売るにしても売らないにしても、これを機に、住職に取り仕切ってもらって、弟の家に全部移すことになりました。
仏の世界では、仏壇はただのモノではないのです。
最近は、壁掛け型の仏壇もあるみたいで、それいいねー、と義妹さんと盛り上がりました。すごいですよね、壁掛け型って。
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