告別式当日。
心配しましたが、遠路はるばる車で(!)住職さんがいらっしゃいました。
その後、ギリギリに母も到着。施設の方ふたりに両脇を固められて、登場です。
伯母の才能
式が始まってから、しばらく母は見たもの聞いたもの、全部声に出していました。最初は大丈夫かな?と思っていましたが、周りの雰囲気を察したのか、途中から口をつぐんでおとなしくしていました。
遠くカリフォルニアから、私の従姉(父の姉の娘)が、やはり関東の地方都市に住む伯母(父の姉・従姉の母)を連れて、これまた遠路はるばる来ていました。父の姉ですから、もう80歳は優に越えています。
この伯母は本当にイージーゴーイングをそのまま人間にしたような人で、朗らかで明るくて、好奇心が強く、母に対しても
まあ久しぶり!あなたのだんなさまよ!
などと逐一声をかけてくださって、本当に助かりました。
私にはわからない、同年代の女性としてのシンパシーのようなものがあるのでしょうか、母もちょっと安心したようでした。
小さい子供のような
これまで何度も何度もご焼香をしているはずなのに、母は全く手順がわからない様子でした。両脇にふたりの介護者を従えていたにもかかわらず、一瞬のスキをついて、これは何かしら、という感じで灰に手を突っ込んでしまい、あやうく火傷をしてしまうところでした。なんとかだましだまし、最後まで椅子に座ってくれました。
何から何まで、小さい子供を見ているようでした。
困ったなぁ、というより、何だか微笑ましかったです。介護の方々は大変そうで、申し訳なかったですが。
最後に、父の棺を全員でお花でいっぱいにする、という作業があったのですが、どうやら母はよくわからなかったみたいで、「怖いから私はいいわ」と言って、かたくなに花を入れようとしませんでした。
よく食べよく話す
その後、火葬場へ移動し、父が焼かれ、焼いている間はみんなで会食でした。
ここでも先ほどの伯母が威力を発揮しまして、「私、はなこ(母・仮名)さんと一緒に食べてもいいかしら?」と申し出てくれて、ずっと母と思い出話をしてくれました。その間、私は別のテーブルで、弟夫婦と従姉の4人でゆっくりご飯が食べられました。
伯母も少し耳が遠くなっているので、大声で話していて、会話は筒抜けでした。
どうやら、父と母のなれそめについて話していたようでした。
従姉に「伯母さま無理していない?」と聞いたら
母は、やりたいことしかやらないから。話したくて仕方ないの。気にしないで。
と言ってくれました。
すべて世は事もなし
以前、母はよく、この義姉のことを煙たがるようなことを言っていました。
「長男の嫁なんだから、しっかりしてくれないと困る」って言われたのよ。
でも、歳を取って、お互い訳が分からなくなって、そんなのどうでもよくなってしまったのかもしれません。お互い支えあうしかないのです。親戚というのは不思議な関係だなと思います。
伯母には感謝しかありません。
母はよっぽど楽しかったのか、自分のお弁当だけじゃなく、となりで介助してくださった介護の方のお弁当も半分ほど食べてしまいました。
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