殺人熱波の後、ここシアトルは急に寒くなりました。
湿気があるので、寒くてぶるぶる震えるほどではないのですが、日中でも25℃に届くかどうかという感じで、朝晩は20℃を下回って、窓を開けて寝ると朝方寒くて目が覚めるほどでした。
昔、子供のころ、父親の会社の保養所に毎年泊まりに行っていたのですが、その高原の匂いがします。おそらく、朝露に濡れた草の匂いですね。
こちらに越してきてから、子供のころを妙に思い出すのは、たぶんこういう匂いのせいだと思います。
私は父の仕事の関係で、小学校に上がる前までと、高校時代という思春期真っただ中を北海道で過ごしました。札幌という都会ではなく、田舎の地方都市だったので、見渡す限りの草原とか、そこに放たれている馬とかは当たり前に見てきましたし、クラスメイトが牧場主の息子とかっていうことも、わりと珍しくなかったのです。
実家が高校のない田舎町だったりすると、下宿生という生徒もたくさんいました。
そこの寮母さんがどれくらい理不尽か、という話を面白おかしく聞かせてくれる先輩もいました。
私は中3の2学期、受験前のギリギリに、北海道の学校に編入しました。
2学期ももう終わりかけの時に、ひとりの女の子が突然現れました。
久しぶりに帰ってきた、と周りのクラスメイトが、やや小ばかにした調子で言っているのが聞こえました。どうやら、もともとこのクラスの生徒で、何かの事情でしばらく学校に来ていなかったようなのです。
その後、その子が夏の間は襟裳岬に昆布を採りに行っている、という話を聞きました。
昆布を採りに行っている
この言葉の意味がよくわかりませんでした。いえ、日本語はわかります。昆布を採りに行っている。
でも、本当に意味するところがわからなかった。私は小中と東京にいましたから、昆布を採りに行かなくてはならない事情を持った友達がいなかったのです。でもおそらく、北海道のその辺りでも珍しかったんだと思います。
クラスに、いつもポツンとひとりでいる女の子がいました。
昆布採りの女の子がクラスに入ってくると、そのポツンとしていた女の子は息を吹き返したようになって、いつも二人でいるようになりました。聞くところによると、そのポツンとしていた子も転校生で、おとなしくてぽっちゃりとしていた子で、風貌などでからかわれたようで、クラスになじめなかったようでした。
でも、その昆布採りの女の子は、卒業を待たずにまたクラスを離れました。
また昆布を採りに行ったんだ、とうわさを聞きました。
たまに、その時の二人の女の子のことを思い出します。
名前も覚えていないふたり。
でも、教室の隅で、いつも一緒にいた二人の後姿をよく覚えています。
今思い返してみれば、彼女たちの背負っていたさまざまなことを想像することはできるようになりました。いま彼女たちは幸せに暮らしているだろうか、でもそんなことを考えていること自体が、何だか思い上がりのような気もします。
澄んだ空気と濡れた草の匂いをかぐと、子供のころを思い出してしまいます。
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