車でラジオを聞いていたら、"Food Drive" のCMがやたらと入ってきました。
私の住んでいる、シアトルのイーストサイドでは Hopelink というところが手広くやっています。
ちょうど買い物帰りだったんですが、グロサリーの入口前にも大きな箱が置いてあって「これらの商品の寄付をお願いします」といった内容の必要なものリストが書かれた紙が張り出してありました。
初めての時は、何やらいかがわしいものかしら、などと不謹慎なことを考えてしまったんですが、毎年夏になるとかなり大々的にやりますよね。私も何度か寄付したことがあります。
夏休みは学校がクローズするので、食事に窮する子供たちが出てきます。Food Driveは、平たく言ってしまうと、フードバンクの備蓄のための物品の寄付制度です。Wikipedia 情報ですが、最近では効率が悪い、直接お金を寄付した方が本当に必要なものを購入できるから効率的だ、という意見も出てきているようです。もともとは、家庭で余った缶詰やおむつなどを寄付するところから始まったんじゃないかと思うのですが、時代とともにやり方や考え方が変わってきたということなんでしょう。
ラジオCMでも、食べられない子供たちのためにも救済を、という感じのことを言っていたんですけど、そこでちょとモヤモヤ~っとしてしまいました。
ちょっと前に「みえるとかみえないとか」という絵本を紹介させていただきました。
この絵本にえらく感激しまして、そのあとすぐに、この絵本の元となっている本も買いました。
「障碍者に手を差し伸べる」とか「困っている人を助ける」とかいう話になると、どうしても施してあげる、という構造になって、上下関係ができてしまいます。3本足の椅子では安定しないから手を貸しましょう、ということではなく、3本足の椅子でもバランスはとれているよ、かわいそうじゃないよ、という例えがありました。
このフードバンク自体は素晴らしいんですが、寄付した側が「いいことした」と一方的に満足しちゃうだけだと貧困層の救済にはならないわけですよね。その人たちに寄付し続けることはできないし、ずっと施してもらい続けることもできません。
私はドラマ大好きおばさんなんですけど、今シーズンのNHK朝ドラ「おかえりモネ」が最高すぎて釘付けです(笑)
その中でもすごくハッとしたんですけど、水曜日放送回で、主人公が「やっとみんなの役に立てた」と漏らしたら、会社の先輩にこういわれてしまいます。
「人の役に立ちたい、って結局自分のためでしょ?」
何か無償でいいことっぽいことをしたときに、この視点ってすごく大事だなーと思いました。
もちろん寄付自体は役に立つことですし、いいことしたって満足することも悪いことではないんですが、そこで立ち止まって、自分の行いは確かに誰かのためになるかもしれないけれど、特に何もできていない自分の後ろめたさみたいなものを解消していることにもなっているのだ、等と見方を変えると、誰が上でも下でもなくて、お互いがお互いの足りないところを補完しあっているだけなのだ、と意識が変わってくるのでした。
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