今週、息子の学校でコンサートがありました。
先日の停電騒ぎで学校も停電になってしまい、本当は2週間前に行われるはずだったのに、今週に延期となりました。
コンサートと言っても、日本のいわゆる部活と違って、息子の学校では卒業要件に入っているので、コンサートの出席も成績に関係があります。ただ、今回はリスケされてしまったため、出られなくなった生徒が何人かいたみたいでした。そのうち一人は1曲まるまるソロを任されていたみたいで、代わりに先生が吹いていたのですが、本当に残念でした(息子から「めちゃくちゃうまい」と聞いていたので)。
コンサートに先立ちまして、先輩に誘われて前座(?)として、息子も4人のアンサンブル演奏しました。その時、他の3人から何やら「やれやれ!」とけしかけられて、しぶしぶといった感じで息子が舞台上でマイクの前に立ち、彼らのアンサンブルの説明をしたんです。
渡米した当時は観衆の前で英語でスピーチするなんて考えられなかったので、感慨深かったです。内容は全然大したことなかったんですが。
以前、息子に「高校に入って英語すごく伸びたけど、今でも英語は不自由したりする?」みたいなことを聞いたら、
もちろんだよ、今でも「これでいいのかな?」って思いながらしゃべってるよ
と返ってきました。
でもその後が良くて
でも今はすごくみんなとしゃべりたいから。
しゃべりたい気持ちがあるからとりあえずしゃべってる
なのだそうです。
息子は友だちに恵まれていて、多少へんてこな英語をしゃべっても別に誰も指摘しないし、バカにしたりもしません。もちろん、みんなが気に留めないくらい彼の英語が上達したから、ということもあるんでしょうが、どちらもすごく大事なことだと思いました。
心理的安全性が担保されなければ、話をしよう、とはなりませんし、話をしようと思わなければ、それ以上言葉も上達しません。
私は今でも、目の前でため息をつかれたり、イライラされたり、この人言っていることわからないから誰か代わって、と言われることがあります。あまり多くはいませんが、たまに出合います。そうじゃなくても、心の中で悪態をついている人ももしかしたらいるかもしれません。
こうなると、心理的安全性は全く担保されませんので、委縮して話ができなくなります。
おそらく息子も、そんな時期をたくさん乗り越えてきたんだと思います。
私が知らないどこかで、小さな心を痛めてきたのかと思うと、彼の先の言葉の重みを深く感じざるを得ません。
簡単にバイリンガルうらやましいなんて、言わないでほしいといつも思います。
と同時に、ここまでがんばってきた息子を素直に誉めたいと思います。
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