土曜日の朝、帰国された友達からLINEが入りました。
東北でかなり大きな地震があったよ!
震えあがりました。大きな地震?!
すぐにニュースを見ました。震度6!でも津波の心配なし!
ひとまず良かった。津波がなければ対処する時間はある。
日本のライブニュース動画を見たりしながら、被害はそれほど大きくないことを知って、とりあえず安堵しました。日本はすでに夜中の時間だったので、停電や断水などは気になりましたが、日本の夜が明けるのを待ちました。
10年前の東北大震災の時、私はオフィスビルの16階で働いていました。
エレベーターは止まってしまい、みんな階段での移動です。下るのも上るのもとても大変でした。
何が起こったかわからず、オフィスにあるテレビをつけたところ、東北が大変なことになっているのが確認できました。津波警報が出ています。これまで、津波注意報は見たことがありましたが、そんな大きな被害を見たことがなかったので、正直意味が分かりませんでした。
避難している車に、津波が押し寄せる映像が映し出されました。ああ、飲み込まれる…!
気仙沼が燃えていました。私の隣に座っていた当時のボスは、気仙沼出身で、茫然とされていました。私の義実家も震源地に近いところにあります。心配でした。
保育園とは連絡が取れません。Webカメラが最近導入されたところだったので、とりあえず、子供たちがどうしているか、様子だけは確認できました。
その後、親戚一同が無事であることが確認され、私とオットは合流して、さらに職場の同僚でたまたまご近所に住んでいる方と一緒に、オフィスで地図を印刷して家まで歩いて帰ることになりました。歩道には人があふれていて、線路上に電車が止まっているのを見ました。様々なことが不安でした。
保育園について先生方の顔を見たら、本当にホッとしました。
「私たちも、保護者のお迎えの顔を見ただけでホッとします」
小さな子供たちを預かりながら、この非常事態、とても大変だったと思います。あの時のことは感謝してもしきれません。
到着したときはすでに10時を回り、夕飯も特別に出してくださり、ちょうど子供たちは寝ていました。
息子は当時2歳。寝ぼけていてぼんやりした顔でした。お迎えに来られて本当にホッとしました。家族3人さえ揃えば何とかなります。抱っこ紐に入れた息子の重さに涙が出そうでした。
帰りに、京王井の頭線が運転再開しているのが見えました。電車の明かりにどれだけ励まされたでしょうか!人が電車で移動していることが、こんなに嬉しいなんて。
「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道が運転再開したとき、どれだけ住民を励ましたんだろう、と思います。素晴らしい決断でした。
東北大震災の時、義実家とその親戚は本当に大変でした。
今回の地震は東北大震災の余震だそうですね。義実家は今回もなかなかな被害が出ており、まだまだ心配です。LINE電話で話をして(いい時代です)、元気そうなのがなによりでした。
アメリカにいると、お金を出すくらいのことしかできず、とても歯がゆいです。