エメラルドシティでの輝かない生活

シアトル近辺でオットと息子の三人暮らし.子育てと日々の雑感.

5年前の話 - 渡米〜アメリカ生活 - (7) 迷惑

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思い出すと少し痛みます

渡米前後のお話です。アメリカ生活が始まりました。ちょっと辛い内容です。

これまでのお話 -> (1), (2), (3), (4), (5), (6)

 

7月下旬にシアトル・タコマ空港に降り立ちました。不安だらけでした。
引越しもあったので、渡米2週間前にオットが日本に一時帰国し、家族3人でアメリカに来ました。

涼しいし、いつまでも明るいし、緑も豊富で空気も良く、いい場所だな、とは思いました。息子もあの時はどんな気持ちだったんだろう…

 

9月に学校が始まるまで何もすることがなくて、毎日をただ不安に駆られながら過ごしていました。私が運転できないので、オットは毎日3時くらいに帰ってきて、私と息子をいろんなところに連れていってくれました。日が長いので、3時から出かけてもいろいろと楽しめました。

 

ご飯作りがとにかく憂うつでした。
私が徒歩で行ける範囲には日本の食材が手に入るところがありませんでした。アメリカのスーパーにある食材で作れるものは限られているし、オットも息子も和食で生きてきたので、ほとほと困りました。総菜はないし、冷凍食品もまずそうだし、当時何を食べて生きていたのか全然思い出せませんが、とにかく毎日困ったことだけはよく覚えています。もし料理好きだったら、新しい食材を試してみたいとワクワクしたんじゃないかと思いますが、残念ながら、料理には全然興味がありません。今でこそ観念してあれこれ作っていますが、辛かったです。

 

SSN(ソーシャルセキュリティナンバー)を申請しに行った時のこと。
番号を取って、1時間くらい並んだ挙句、証明書類を忘れて何もできなかった時は、オットに連れてきてもらった手前、情けなくていたたまれませんでした。オットにも何か小言を言われたと思います。なぜそんな大事な場面でそんな大事なものを忘れてしまったんでしょうか。


当時は自分のクレジットカードどころか銀行口座もなくて、毎日オットに現金をいくらかもらっていたのですが、ある時レジで支払い、というところで現金が足りないことに気付き、何とか片言の英語でオットを呼ぶので、と伝えてレジの脇に行かされたこともありました。一緒に来ていた息子が私のとばっちりで家に帰れない姿を見て、ただただ必死に涙をこらえました。

お迎えに来たオットに「そんな大した問題じゃないし、気にするほどのことでもないよ」と言われたんですが、余計に傷つきました。

もちろん、オットは悪くないです。

その時はうまく言葉にできませんでしたが、後になってわかりました。

 

私は、アメリカでは全くの無力で無価値で何の役にも立たない人間なのだ、という辛い現実に打ちのめされていたのでした。ただお金を与えられて生かされているだけの自分に耐えられませんでした。