エメラルドシティでの輝かない生活

シアトル近辺でオットと息子の三人暮らし.子育てと日々の雑感.

5年前の話 - 渡米〜アメリカ生活 - (4) 小学校転出まで

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みんなちっちゃい

5年前の渡米前後のお話、今回は息子の小学校です。

これまでのお話 -> (1), (2), (3)

 

日本の小学校は、小学校1年生の1学期だけ通うことができました。結論から言えば、もう本当に、一瞬でも通うことができて、幸運だったと思います。親子ともに。

 

日本でしか経験できないことはたくさんありました。

  1. 入学式
  2. 運動会(春に行う学校でした)
  3. 時間割を自分で確認する訓練
  4. ひらがな、カタカナを日本で覚えられた
  5. 音楽でピアニカをやった
  6. 給食当番、掃除当番、日直の経験
  7. 時間内に体操着や水着に着替える
  8. 週の最後に体操着や上履きを持ち帰る
  9. 全校朝会、毎日の朝の会等

などなど、学校のそういった慣習が良い悪いは別として、日本にいたらふつうにやっていることを経験できたのは、息子の心の居場所を作る意味でも大きかったと思います。いまだに小学校の時のクラスメイトとは連絡を取っていますし、日本に帰れば必ず連絡して一緒に遊んだりしています。それができるのも、そのたった数ヶ月の共有時間があったおかげです。

 

新学期始まってすぐくらいに、クラス写真、学年写真、学校全体写真を上空から撮るイベントがありました。
翌年日本に帰った時に、それらの写真をまとめた冊子をいただきました(Yearbookに近い感じ)。知らなかったのですが、ひとりひとり、将来の夢みたいなことが書かれていました。息子が確かにこの学校に通っていたという証をいただいたようでとても嬉しかったです。

 

それから、何度か夏に体験入学もさせていただきました。その時もだいたいの学校の流れはわかっていましたし、お友だちも大歓迎してくれました。おかげで、息子も特別感を味わえて嬉しかったと思います。

 

私はなぜかくじ引きで運動会関連のPTA役員になってしまいました。まだ誰にもアメリカ行きを話していなかったので、一応、こっそり委員長さんには1学期で転勤してしまうかも、とはお伝えして、それでもかまわない、というので引き受けました。

結果的には、その委員は年間を通して仕事はあったものの、運動会がメイン担当だったので、1学期で欠員になってもあまり影響がありませんでした。そういう意味でもラッキーだったかなと思います。私も学校のボランティア活動に少しでも参加できてよかったです。

 

運動会当日は、5月だというのに暑くてものすごく晴れました。

1年生も入学してすぐだというのに、ちゃんと統率が取れて立派に仕上がっていました。感心しましたが、練習の話を聞いたら震えました…いまだに軍隊方式で指導している先生がいるようですね。これは経験させたくなかったかな。

 

息子のいた紅組は勝って、楽しい気分のまま、最初で最後の日本の運動会を終了しました。