前回の続きです。
前回 → 5年前の話 - 渡米~アメリカ生活 -
あまり記憶が定かではないのですが(オットの話なので)、年明けにはアメリカ本社に転勤することが正式に決まりました。そこから渡米手続きが始まるわけですが、兎にも角にもビザが必要です。ビザの申請とともにグリーンカードの申請も始まりました。
…はずでした。
3月には少なくともオットはアメリカへ引っ越す予定でした。ところが、待てど暮らせど本社人事から連絡がありません。
オットが痺れを切らして問い合わせたところ、担当者から
○日付けで退社しました。
という自動返信メッセージが届きました。
信じられません!信じられますか?
引き継ぎもせずに辞めてしまったらしく、オットのビザ申請プロセスがストップしていたのです。
おおお、これがアメリカなのか…
いえ、誤解のないように言っておくと、アメリカだって、ほとんどの人はちゃんとしているのです。ただ、ちゃんとしていない人のちゃんとしていなさ加減が私たち日本人からすると想像をはるかに越えた領域なだけです。当たりが悪かっただけです(たぶん)。
さて、いよいよ息子は卒園の時期を迎えました。
ビザも無事に取れるかどうか確信がなかったので、家族以外は誰にも渡米の話はできず、悶々とする日々が続きます。唯一、保育園で仲良くしてくれたママ友二人だけに話をしました。
そうそう、保育園の園長先生にも話したと思います。最後に先生からいただいたメッセージに泣きました。世界という大海原で羽ばたいてください、というようなメッセージでした。園長先生が素晴らしい方で、本当にラッキーでした。
最初の予定では、3月にはビザが取れて渡米できるはずだったので、卒園と同時にアメリカに行ってしまおうか、という話もありました。ですが、いろんな人に相談したところ、もし先に延ばせるのであれば、日本の学校を経験させた方がいい、という意見が多かったです。
その頃、私は渡米することしか頭になかったので、息子が少しでも早く英語に触れた方がいいのでは、と思っていたのですが、長い目で見れば、日本の入学式を経験させたり、日本の学校生活を少しでも体験できた方がずっといい、ということに気づかされました。
まあでも結果的には、人事の不手際で、アメリカ行きはビザが取れ次第、おそらく5月以降、となりました。
アメリカの学校に通うにしても、5月ではかなり中途半端です。結局、息子を1学期だけでも通わせて、オットにはしばらく単身赴任してもらうことにしました。
今にして思えば、この選択は正しかったです。日本の学校でお友だちができたことは、息子にとって、宝物のような思い出となりました。