3月ということで、日本のスケジュールで動いている補習校が先週の土曜日で修了しました。
結局、一度も顔を合わせないまま1年が終わってしまいました。ラップトップの画面だけでは、交流と呼べるほどの交流もなかったです。前にもどこかで書きましたが、日本語で友達と交流できないと、補習校の良さもほとんど発揮されません。仕方ないんですけど…
この1年で、日本に本帰国するお子さん以外でも、パタパタと補習校を去っていかれるかた多数でした。例年と同じくらいなのか、それとも多いのか、数字を持っていないので比較できないのですが、なんだか寂しい限りです。
3月まではがんばろう、とここまでを目標にしてきたお子さんもたくさんいらっしゃると思うので、来年度はさらに減るだろうなーと思っています。今は日本からわざわざいらっしゃる方なんてほとんどいないので、減ることはあっても増えることはほとんどないと思います。考えれば考えるほど寂しいです。
まだ補習校を続けよう、と残った生徒も、あまりにもオンライン授業が長引けば「このまま続けていてもな…」みたいな気持ちになって、去っていかれてもおかしくないです。対面授業が始まるまで休学するという選択肢もないわけじゃないんですが、それでも席を残しておくために毎月お金がかかります。退学してしまうと、今の制度のままでは入りなおすのは難しいような気がします(そういう例を聞いたことがない)。こういう状況なので、補習校に相談すれば何とかなるかもしれないですけど。
高校生の卒業式を拝見させてもらったんですが、日本語は当たり前ですけど素晴らしいし、難しい単語も使いこなしているし、雰囲気が日本人だし、ここまで来るのは相当努力しただろうなと思います。私も渡米直後は高校まで行かせるぞ!と意気込んでいましたが、年々その気持ちがしぼんでいくのが自分でわかります。高校まで補習校を続けるっていうのは、並大抵のことじゃないです。そもそも日本の高3っていうと、すでに大学生になっている子もいるでしょうし。
彼らが補習校に通い続けるモチベーションってなんだったのかなーと思います。大学のアドミッションにも多言語できることはアピールポイントになるとは聞いていますが、だとしても、コスパが悪すぎます。補習校って長い子は13年通いますから。13年間何かをやり続けた、ということもポイント高くなるとは思いますが、そこまでしなくても入学できる子はたくさんいますし。
どこかで書いたような気がするんですが、数年前に高校生が下級生に向けに話していた言葉がとても印象に残っています。
私は日本に帰ると「アメリカ人」と言われ、アメリカでは「日本人」と言われます。
私にはどこにも居場所がありません。
でも、補習校は違います。みんな私と同じ境遇です。現地校にも友達はいますが、補習校の友達は私にとって特別でした。
この話を思い出すたび、切ない気持ちがこみあげてきて、涙が出そうになります。