痛ましい事件
教育学区から、「私たちのコミュニティを守るために」という、ちょっとふわっとしたタイトルのメールが届きました。
読んでみると、先日のバッファローで起きた銃撃事件を受けて、大人が子供にどう接したらよいか、といったことが書かれていました。
痛ましい事件が起こるたび、こういったメールが届きます。
実際、息子は学校でロックダウンドリルと言われる、不審者が侵入した時の避難訓練を何度もしていますし、実際、2度ほど本当に学校がロックダウンしたこともあります。
平和な地域ではありますが、それでもこういうことがあります。
教育学区からは、以下のサイトのURLの案内もありました。
簡単に言えば、こういう残虐な事件が起きたときの、子供へのケアの方法について書かれたものです。こういう協会が必要になってしまった、暴力の歴史を感じますね…
記事を読む限りでは、この事件の犯人は黒人差別主義者で、わざわざ200マイルも離れた遠くからやってきて、黒人を狙って撃ったということです。
日本でももちろん無差別殺人があって、「死刑になりたくて」とか「誰でもいいから殺したかった」とか、本人にしかわからない理由を述べたりします。でも、これとの大きな違いは、「どうせ殺すんだったら黒人」「黒人だったら罪じゃない」みたいな思想が根底にあるんだろうってことだと思うんです。実際、無罪を主張していますし。
これで思い出したのが、アメリカ公民権運動のきっかけになったと言われている、「エメット・ティル事件」です。
これは本当にひどい事件で、聞くに堪えません。
でも、エメットくん(当時14歳)をこれほどの残虐な形で殺害した白人男性は、結局無罪になりました。
無罪ですよ?殺したのに?
でもこれはキング牧師が立ち上がる前、70年ほど前の話です(だとしても、目を覆うような事件ですが)。
誰かを殺してみたい、という衝動が人間に起きるのは、もしかしたら百万歩くらい譲って生物としての本能的な何かかもしれないと思えるとしても、黒人対象だったらそれが許されると思っている、その選民思想的なものは、どういう環境いると育ってしまうのでしょうか。
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