エメラルドシティでの輝かない生活

シアトル近辺でオットと息子の三人暮らし.子育てと日々の雑感.

息子を見上げる時がやってきた

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家が壊れない程度にお願いします

ふだん家では、当たり前ですけど、立っていることってあまりありません。キッチンにいる時以外はだいたい座っています。息子と私、お互いが立っている状態で話をすることもそんなにないわけです。

 

先日、キッチンで息子が夕飯をテーブルに持っていくだけの、お手伝いと言えるかどうかも微妙なことをしていた時に、ふと「ものすごく大きい圧」みたいなものを感じました。

「ちょっと、あんたまた大きくなったんじゃない?」

え?と私を見下ろす息子。

「本当だ。オレもデカくなった気がする」

というわけで、壁に背を向けてアゴを引いてぴっと立ってもらいました。

借家ですので傷は付けられませんから、付箋で頭の位置をマーキングしまして、身長を測りました。

 

!!

 

春に健康診断してもらった時より、さらに4cmほど伸びていました。

恐ろしい…成長期…

ていうか、ずーーーっと成長期な気がします。まだオットより小さいので、もう少々伸びてもらわなければなりませんが、この調子でグングン伸びていけば、2mも目指せます。ジャンプせずにダンクシュートできるのでは…(妄想)

 

子供が大きくなるのは喜ばしいことですし、実際大きくなってもらわなくちゃ困りますし、お互いうざいなーと思いながら親離れ子離れしていくものであるので、こういうものなのだ、と考えてはいるんですが、でもね…小さいときの写真を見ちゃうんですよ。かわいくてかわいくて、当時はそのかわいさの半分も気づいていなくて、こんなにかわいかったんだっけ、と毎回びっくりしてしまいます。

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じいちゃんに運転席に乗せてもらってご満悦の2歳ごろ

もちろん、自分の子供だからかわいいのであって、モデルみたいなかわいさとは違うわけなんですが、その頃は本当に必死で、自分の失敗ひとつでこの子は死んじゃう、と思っていたのでかわいいどころじゃなかったと思います。保育園がなかったら、私は子供をベランダから落としていたかもしれない、と思うこともあります。

 

たとえば子供が咳をした時、熱が出た時、私はいろいろと一人で決断しなければなりませんでした。母親だから。子供のことはわかっているはずだから。

でも、全然そんなことはなくて、母親だろうが何だろうが、不安なものは不安なんです。その時、一緒に様子を見て考えてくれる人が他にいたら、どんなに心強かったでしょう。

「かわいい」と思えるのは、自分の心に多少の余裕があって、一歩引いて見るからなんでしょうね。孫がかわいいというのと同じ原理です。

 

またまた大好きなコテンラジオの話で恐縮なんですが、このエピソードの中に、ちらっとそんな話が出ていました。

30代の男性が「アドバイスしてくれる人がそばにいてくれたら心強いよね」「ワンオペなんてそもそも無理を押し付けている」みたいな話をしていたんですが、すごく嬉しくなっちゃって、あの頃の自分がこういう話を聞いていたら、どれだけ救われたかなって思います。

 

愉快な話だったはずが、結局こんな話になっちゃって、やっぱり子供が小さかった時の辛かった自分からまだ解放されずにいるのかもしれないな、と思いました。

 

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