以前、こんな話を書きました。
この時ご紹介した篠田真貴子さんが、ケイト・マーフィーさんというアメリカのジャーナリストが書かれた本の監訳をされたというので、読んでいます。
原書のタイトルは "You're Not Listening: What You're Missing and Why It Matters" となっています。
まだ途中までしか読んでいないのですが、興味深いことがずっと書かれていて、すでに付箋が山のように貼ってあります(Kindleなので、ブックマークですが)。
今まで、いかに上手に話すかについて書かれた本はたくさんあるけれど、いかにうまく聴くかについて書かれた本はほとんどない、あったとしても、どういうタイミングでうなずくか、とか視線はどこに向けるか、とかそういったテクニック的な話であって、「聴くこと」の本質について触れられているものはない、といった話から始まります。
もう本当にそう。
私なんて人前で話したりするのは本当に苦手なので(オットがよく、私があわあわしているところを真似したりするくらい)、どうやったらあんなにうまく人前で話せるんだろうって考えたことは何度もありますが、どうやったらあんな風に上手に人の話を聞くことができるんだろう、と考えたことはあまりなかったような気がします。
この本の中で、あの三重苦で有名なヘレン・ケラーの言葉が引用されていました。
「私は目が見えず耳も聞こえませんが…耳が不自由な方がずっと不運です。生きていくうえでもっとも重要な刺激の損失を意味するのですから。声の響きは、言葉をもたらし、考えを解き放ち、人々との知的な関係を育むのです」
「LISTEN」 p.57 より
もうずいぶん昔のことですが、忘れられないちょっとした出来事があります。
その時、私はわりと面倒なことにはまり込んでいて、すごく悩んでいました。そんな時に、学生時代の親友と会って、話を聞いてもらいました。途中まで聞いた彼女は、こう返してきました。
「そうなの?でも私の状況の方がもっと面倒くさいよーだってさー…」
と自分の話を始めました。
この後、私は彼女にいくら自分の状況を説明しても聞いてもらえず(空気振動という点では彼女の耳に私の声は届いていたはずですが)、ただひたすら彼女の方がひどい状況なんだ、と聞かされ続けた記憶が今も残っています。
結局、その後、私の状況は悪化して最悪な結果になりました。
でも、彼女の方は(その件とは関係ないところで苦労したかもしれませんが)、その時聞かされた話ほどのひどい状況にはなりませんでした。私と話したことすら忘れているだろうなと思います。
でも私の方は、聴いてくれなかった、という暗い気持ちだけが残り続けています。
よくある話だとは思うんです。
たぶん、私も似たようなことを誰かにしてしまっていると思います。
この本を読みながら、ずっとあの時のことを思い出してはモヤモヤっとしています。